

2月25日(木)13:40頃航空自衛隊小牧基地に、空中給油機能があらたに加えられたC130H輸送機が配備されました。空中でヘリへの給油を可能とするもので、軍事強化が進められています。米空軍空母艦載機への給油も可能とも言われており、海外で戦争する米軍への支援する機能をいっそう強めるものと危惧されます。
2月11日は建国記念の日に反対し、歴史研究、教育、平和団体などからなる「思想・信教・教育の自由を守る愛知県民の集い実行委員会主催の集会が鶴舞プラザ(旧勤労会館)で開かれ、350人が参加。名古屋市立高等学校教員組合の河野義人氏が主催者挨拶しました。
講演で、一橋大学大学院教授の渡辺治氏は「民主党中心政権で、憲法は、暮らしはどうなるか」について昨年の総選挙で国民は新しい政治の第一歩を切り開いたが、民主党政権はジグザグ、動揺している。なぜか。民主党の生い立ち、構造改革派、小沢主導など三つの構成部分などから来る保守二党制の矛盾である。
今後、構造改革と軍事大国化がすすみ、憲法改悪、社会保障の後退、権威的国家体制を強め、国では小沢流、名古屋では河村流の悪政になる。
今後、新しい政治の第二歩へ進むため、憲法9条、25条をバネに、われわれ自身が地方と国の政策を提起し、国民の共同を広げることや、担い手の強化をと、強調されました。
会場からは多くの質問・意見が出され、交流しました。集会は「日本国憲法の精神が生きる社会をつくるため力をあわせましょう」と集会アピールを採択しました。
最近の集会では多くの参加者で、熱気のある集会でした。
(山本 久幸)
(平和新聞愛知版10/02/25)
安保破棄愛知県実行委員会と愛知県平和委員会は安保50年連続学習会を企画し、第一回目を2月17日に民主会館で開催しました。講師は平和委員会理事の小泉親司さん、演題は「『抑止力』論を根本から問いただす」で、参加者は30人です。
講演は以下のことを中心に述べられました。沖縄・名護市長
選挙の勝利で「米軍再編」に痛打を与え、日米合意を打破できる展望が開けたこと。政権交代した鳩山内閣が普天間「移設」問題で混迷しているのは根本的に抑止力論にとらわれていること。「抑止力論」は相手に脅威であり、軍拡競争になるので、打破する必要性を強調。抑止力論の打破には①安保は日本を守るのか、②抑止力論は破綻していること、③核密約を公開・破棄させることが重要であると強調。
会員のみなさん!
暦の上では立春も過ぎたというのに、まだまだ寒い日が続いていますが、お元気でしょうか?
昨年はオバマ大統領の登場に続き、日本でも政権交代が実現し、原爆症基金法や肝炎対策基本法が成立したものの、普天間基地問題をめぐって迷走を繰り返し、後期高齢者医療制度撤廃は先送り、労働者派遣法の後退、献金疑惑など、激動の政治が続いています。
昨年、愛知県平和委員会は60周年を祝いました。
私たちは厳しい情勢の中で、戦争反対・核兵器廃絶をと奮闘してきた60年の歴史の上に、より幅広い共同を築き、世論や運動をいっそう広げようとの思いを一つにしました。そして今日、米軍再編・自衛隊との一体化や、戦争できる国づくりが進められる中、平和委員会の役割はますます重要になっています。
2010年は安保条約改定50年の年であり、「改憲手続法」が施行されるとともに、参議院選挙、沖縄知事選挙、韓国併合100年という、歴史認識が問われる大変重要な年です。1月の名護市長選挙は新基地反対を主張する稲嶺知事の当選で、幸先よいスタートを切りましたが、職場や地域で、平和を願う人々の輪を広げつなげて、今後いっそう平和運動を強めていくために、今こそ平和委員会を強く大きくすることが求められます。
昨年の定期大会では、思い切って仲間を増やし900人の会員にと目標を確認しあいました。
学習会、署名行動、諸集会…などあらゆる機会に《あなたも平和委員会に》と呼びかけてみましょう!
2月・3月を会員拡大の目標を持って取り組む強化期間とします。いつでも、どこでも入会用紙と見本紙を持ち歩き、仲間を広げましょう!
6月に予定している定期大会には、これらの経験を持ち寄り、情勢にふさわしい強く大きな平和委員会を、みんなの力でつくりましょう!
(平和新聞愛知版10/02/25)
被爆体験を被爆者に語ってもらい、聞くとともに映像で残そうとしてはじまった「聞き撮りプロジェクト」の第5回目が2月13日岩倉市で開かれ、岩倉市の被爆者3名、愛友会から5名を含め全体で20名が参加しました。理事の矢野彩子さんに感想を寄せていただきました。
第5回目の聞きプロに参加して
長崎で被爆した星野さんは、爆心地から離れていたために無事でしたが、原爆の衝撃を、「光が音をもってやってきた」と表現され、離れた場所でも原爆の衝撃がすごかったことが伝わってきました。
「8/15から一斉に街が明るくなり、屋根に昇って『やったー!これが平和なんだ』と感じた。」と言われており、11歳の少年の純粋な感想なのだろうと思いました。
23歳で長崎で被爆された平野さんは、爆心地近くの病院に入院していた夫を亡くされました。『原爆が落ちなければ、違う人生だったろう。でも考えてもしょうがない。』と押さえぎみに語る平野さんの言葉の裏からは、当時それが当たり前だと思わされて恨み言も言えなかったが、戦争さえなければ…原爆さえなければ…という無念な想いが伝わってきました。
丹羽さんは広島で被爆した当時2歳でした。同窓会で広島に帰ると、被爆者であることを周囲に隠している同級生がほとんど。ご自身も結婚の時に被爆者であることで辛い想いをしたそうです。「被爆したことを隠さなきゃいけない世の中ってどうなんだろう…」という訴えが心に響きました。何か悪いことをしたわけでもないのに、国が始めた戦争の犠牲になった方たちが、なぜ今なお被爆したことを隠さなければいけないのか。国がもっと被爆者の方々を大切にし、全員を救済して、世界中に向けて核兵器の恐ろしさを伝えて日本は核兵器廃絶の先頭に立たなくてはと思います。それは日本にしかできないことです。
3人とも、背骨が変形していると言われたり、甲状腺機能低下症であったり等、「目に見えないけど、体に原爆のダメージが加わっていて、あるとき急に出てくる。」と言われていました。また被爆者であることで結婚のときに差別を受けたり、原爆で家族を亡くしたりしたことで、心に深い傷を負っています。
初めて参加した大学生は『すごく大事なこと!もっと呼びかければ学生も参加すると思う』と、さっそく周りの学生に呼びかけてくれていました。
最後に若い人へのメッセージとして、「平和でなければいけない」「核兵器の被害は自分だけで終わらず、後々にまで持続するということを子どもたちに伝えたい」という言葉を頂き、このようなお話をもっと多くの若い人に聞いてほしい、自分の住む地域でもぜひ聞きプロを実現したいと感じました。
矢野 彩子
(平和新聞愛知版10/02/25)