第9期日韓青少年平和交流

これぞ“誠信”の交わり

20人の高校生と6人の付添者が、7月31日富山から名古屋入り、8月3日帰国の途に着きました。昨年からホームステイのベースは豊川・豊橋に移りましたが、全体のスケジュールは名古屋ベース型と大きくは変わっていません。

7月31日はまず三菱殉職碑前で学習・追悼、東南海地震犠牲者追悼記念碑がある名南ふれあい病院に移動し、村松寿人さんの証言を聴く会、訴訟を支援する会スタッフとの懇談、追悼行事を終え、一路バスでホストファミリーが待つ豊橋へ。8月1日は、岐阜県釜戸にある三菱電機地下工場跡(日本で唯一「髙」と「金山」という文字が刻まれていることが確認されている)を髙橋がガイド、午後は、覚王山日泰寺の「寃死同胞慰霊碑」とピースあいちを視察。

8月2日は、午前はホストファミリーとの自由時間、午後は豊川海軍工廠平和公園など戦跡を訪問、8月3日の昼便で元気に帰国しました。

名南ふれあい病院でのスタッフとの懇談には、ホストファミリー経験のある矢野事務局長と名南病院小児科医の吉岡モモさんも出席し、数年前のエピソード(高校生曰く「温泉に入ったけれど猿がいないのはなぜか」など)を語り学生たちは、興味津々耳を傾けていました。

空港の送会で学生たちは、ホームステイ先での言葉の困難を乗りこえての対話が最高の思いで、親切づくめの対応に感謝、日本への印象が変わったなど異口同音に“感動”を語りました。参加者20名は、『死地を越えて帰郷まで』(九州の炭鉱での強制連行・強制労働被害者の手記)の感想文提出者68名のなかから30名が第一次選考で選ばれ、面接と総合審査〈男女比、1校2名など〉を経て20名に絞り込んでの人数。審査員は「市民の会」、弁護士、教育庁などから6名で構成。日本との違いを考えると言葉がありません。

ともあれ、雨森芳洲(対馬藩にあって長く〈約60年〉対朝鮮外交を担当)の言葉「お互いに欺かず、真実をもって交わり候を誠信の交わりと候」を胸に刻む青少年平和交流でした。