大法院勝訴判決と金中坤さんの死

11/29 韓国ソウル 東亜日報より

 名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊の原告らは、とうとう韓国大法院(最高裁)で勝訴判決を手にしました。

提訴(1999/3/1)以来19年と9ヶ月の年月を要しました。名古屋地(2005/2/24)、名古屋高裁(2007/5/31)、最高裁(2008/11/11)で敗訴した後、新日鉄住金徴用工事件と三菱広島被爆者徴用工事件で、大法院による差戻判決(2012/5/24)=「国民の個人請求権は直接的に消滅させ得るとみることは近代法の原理と相容れない」が出されたことを契機に、韓国の被害者は元気を取り戻し、勤労挺身隊被害者も光州地方法院に提訴(2012/10/24)、勝訴(2013/11/1)、続いて高等法院でも勝訴(2015/6/24)し、順風満帆の勢いでしたが、朴槿恵大統領と最高裁長官の暗躍により判決は引き延ばされ、今般その策略が明らかにされたことに伴い、高等法院判決から3年5ヶ月後の勝訴判決(2018/11/29)がやっと出されるに至ったのです。安倍官邸、大使館がからんでいたことも取り沙汰されています。

さて、判決の中身ですが、日韓請求権協定第2条の「完全且つ最終的に解決されたこととなることを確認する」には、強制動員被害者の補償は含まれていないと大法院は判断したのです。大法院判決は、その理由として第1に、協定前文は「両国民の財産の請求権に関する問題を解決することを希望し、両国間の経済協力を推進することを希望して次のとおり合意した。」とあり、第1条では、日本は10年間で無償3億ドルの供与と有償2億ドルの貸与は「生産物及び役務の供与」とし、「韓国の経済発展にするものでなければならない」と規定していて、実際、強制動員被害者に現金が渡ったのは、1945/8/15以前の死亡者8552人に限られ、一人あたり19万円(当時日本円)、3億円の9・7%にすぎないとし、請求権補償には当たらないとしています。第2の理由として、「原告らの賠償請求権は、日本政府の韓半島に対する不法な植民地支配及び侵略戦争の遂行と直結した日本企業の反人道的な不法行為を前提とする慰謝料請求権である」「不法行為によって原告らが精神的苦痛を受けたことは経験則上明白である。」「請求権協定の適用範囲に含まれると見ることはできない」と判断したのです。

日本政府は2度(1991/8、2018/11)にわたって国会で「個人の請求件は消滅していない」との見解を述べています。また、最高裁西松判決(2007/4/27)は、「裁判上訴求する権能を喪失したが、訴求する実体的権利は消滅していない」(裁判外で補償を求める権利)とする権能を喪失したが、訴求する実体的権利は消滅していない」(裁判外で補償を求める権利)との判断を下しています。重要なことは、被告企業がこれらの「政府見解」「最高裁見解」に則り、大法院判決を真摯に受け止め、履行することです。安倍首相は、「国際法上あり得ない判断」、河野外相は「暴挙」というコメントを出しましたが、このベースには、無知と不真面目さを前提とした許しがたい「歴史改竄主義」があります。被告企業と原告との解決に向けた協議を妨害することは決して許されることではありません。

光州高等法院判決 2015年6月24日 右端が金中坤さん
光州「市民の会」提供

金中坤(キム・チュンゴン)さん無念の死(2019/1/25未明逝去94歳)
 チュンゴンさんは、1988年12月の東南海地震犠牲者追悼記念碑除幕式の時から数十回にわたり日本(名古屋がほとんど)と韓国の間を行ったり来たりされました。名古屋で妹を地震で亡くした無念を何とか晴らしたいという「希望」が根底にあったと思います。2007年のピースエッグに参加し、歴史と向き合うことの大切さを参加者青年に日本語で語りかけました。平和委員会の部屋にも数度訪れたことがあります。チュンゴンさんが、2006年12月5日、名古屋高裁結審法廷で陳述した一節を紹介して追悼の言葉を結びます。「妹や妻を思うとき、私は加害者の謝罪の言葉を聞くまではとても死ぬことはできません。

この思いは、原告のハルモニにも、隠れて名乗らないハルモニたちにも同じです。…加害者たちが犯した罪を人ごとと認識していることは、実際に犯した罪よりも重い罪を犯しているのだと認識していただきたいと思うのです。…私は韓日友好のために残された人生を捧げる覚悟です。それ以外に生きる絆などございません」。そのチュンゴンさんはもういない。生前、大法院判決を知り、光州の「市民の会」に「よかったね。ご苦労様でした」とねぎらいの電話があったと言います。せめてもの救いです。合掌   以上、辛い思いで綴りました。 高橋信(2019/2/4)