第30回平和展 仏教の社会活動 アジア太平洋戦争と大谷派

3月16日~24日 真宗大谷派名古屋教区強化センター

金属類回収令(1941年~)に伴う梵鐘供出(東別院ホームページより)

今年も真宗大谷派名古屋教区強化センター主催の平和展が行われ、21日に行きました。彼岸の中日。会場のある東別院は市が、立ち賑わっていました。

真宗大谷派が戦争に協力してきた深い反省のもとに始まったと聞いていましたが、戦争協力をあおり、「『自分』より『国』が重要。『生』より『戦死』が重要。仏より神が重要という立場から『誉の家の心構へ』なども出して、戦死を悲しむのではなく褒めることで後方支援を徹底させる役割を果たしてきた」ことが、つぶさに検証されています。

展示の最初にでてきた言葉が、「一殺多生――一人を殺して、多くを生かす」。仏教の教えのように聞こえますが仏典にはなく、戦争肯定する理論として利用され、近代大谷派で最も古い記載は、1883年(明治16年)に遡るそうです。そして、大谷大学の河野法雲氏が「阿弥陀一仏の信仰(真宗教徒たるは諸仏菩薩を信じず、諸神を祀らず唯阿弥陀一仏に帰せよ)」と掲載した論文が問題視され、学長を辞職するなど、「皇国史観」を受け入れ「仏教否定から始まる戦争協力」とありました。展示を見て、真宗大谷派が自ら何故、教義を曲げてまで戦争協力したのか?竹中彰元氏や植木徹誠氏などほんの一握りの戦争に反対した僧侶はいても、上の方の人たち中に、抵抗する人はいなかったのか疑問に思いました。そして、信じることを説く宗教の危うさを感じました。それだけに、平和展にかかわっている方々の、戦争協力を真摯にみつめ、反省する姿勢は立派だと思います。

世間は天皇の代替わりで騒がしいけど、前回の昭和天皇崩御の折大谷派は、「いよいよ深く宗門の戦争責任を痛感せざるをえない」と述べて自己批判をよびかけ、名古屋教区では、代替わりの儀式「大嘗祭」を批判的に学ぶ連続講座が開催しました。天皇の名のもとに戦争が遂行され、国民が無批判に協力した歴史を、決して忘れてはいけないと思いました。