平和連続市民講座始まる テーマは「過去を学んで今を知る」
2024年度の「平和連続市民講座」が始まりました。5月11日、県平和委員会、あいち平和のための戦争展実行委員会、名古屋空襲研究会による、第1回講座には、オンラインを含む60人が参加したのでした。
「上空のまなざし/地上の記憶」と題して、名古屋空襲を中心に戦争と空襲について論じたのは、名古屋空襲研究会の西形久司氏です。名古屋の高校生が名古屋市を動かし、空襲で名古屋城が燃えた5月14日が「なごや平和の日」と制定されました。
「空襲は『戦争』という言葉の意味を変えてしまった」―西形氏は、「兵士の何倍ものふつうの人々が生命を奪われる空襲の惨さ」を指弾します。名古屋の空襲は、その戦争の真の姿を伝えてくれると語るのです。名古屋が米軍のターゲットにされたのは、航空機産業が集中していたからでした。1944年12月には巨大地震にも見舞われました。政府はその報道を管制し、新聞は被害を過少報道。西形氏は「戦争は天災を人災にする」と強調するのです。
名古屋が「模擬原爆」の最終リハーサル地だったという話には驚きます。1発5トンの爆弾は、訓練なしには使えません。1945年7月26日、1機のB29が八事に「模擬原爆」を落としました。同じそのB29は、8月6日、広島に向けて出発したのでした。そのB29のニックネームは「エノラゲイ」。
西形氏は、空襲の被害とともに、加害についても論じます。1931年10月の日本軍による錦州爆撃は、世界最初の「無差別」爆撃でした。「空襲は遠い昔の話ではありません」―西形氏は、ガザやウクライナでの惨情に思いを寄せ、世界中で戦争が起こっていることを憂います。「戦争展」実行委員会代表の小出裕さんは閉会のあいさつの中で、講座の内容を「名古屋空襲調査・研究の賜物」と称え、「今日からまた、新しい調査・研究が始まるものと思う」と、期待を述べました。