西区・守山区合同企画 知多半島戦跡ツアー

4/11 赤レンガビール製造工場

4月11日、西区と守山区合同で知多半島戦跡ツアーを行いました。参加者は守山区21人、西区21人で、青年も7人が参加しました。

瑞穂記念会館会議室で、梶田稔さんから日程の説明や、中島飛行機製造工場を半田市に誘致した経過などの説明がありました。

中島飛行機の滑走路跡(舗装され道路として活用されている)や、民家が増えてわかりにくくなっていますが、所々石の跡が丸く残るエプロンを見学しました。1945年7月24日に半田空襲があり、空襲警報が出て工場は休みでしたが、周辺で多数の人が犠牲になったのです。

次に、7月15日に米軍戦闘機が超低空飛行で目立つ建物や人を銃撃し、その時の弾痕が残る赤レンガビール製造工場を見学しました。終戦1か月前のこの攻撃は、人々に恐怖を与えることが目的だったと梶田さんは説明します。

半田市の最後に、雁宿公園にある「半田・戦災犠牲者平和記念碑」を見学しました。ここには中島飛行機製造工場に徴用された朝鮮の犠牲者の名前も本名で記名されていて、素晴らしいと思いました。

特攻兵器の基地を見る

午後も80年前の戦争の跡をたどりました。

①河和海軍航空隊基地跡  

昭和18年、太平洋戦争開戦に向け、知多半島・美浜町に現場で働く技術者の養成を目的とする第1河和海軍航空隊を設け、最盛期には9000人が整備教育の訓練を受けました。また、河和の海岸部には第2河和海軍校訓隊が設けられ、水上機の搭乗訓練が行われました。 

現在、防潮堤内側には、ソーラーパネルが設置されています。防潮堤から海岸部を望むと、「スベリ」と呼ばれる4%の斜度のコンクリートがあります。当時、この斜度を利用して水上機を海面へ滑らせ、海面を滑走路として飛び上がったという基地の痕跡を今に伝えています。

②河和中学校前・給水塔跡

第一河和海軍航空隊の兵舎の給水塔跡は、現在河和中学校となり、その敷地内にその姿を残しています。

③片名漁港・特攻隊基地  

片名震洋基地地下壕、大井回天基地跡(愛知県知多郡南知多町片名字黒地)。1945年、第1河和海軍航

空隊の130名の隊員により、水上特攻兵器「震洋」の基地として整備されました。「震洋」とは、ベニア板製の、トラックのエンジンを積んだモーターボートで、全長5.1メートル、重量1.4トンで、舳先に250㎏の爆薬を積み、敵艦に体当たりをする特攻兵器です。

当初予定されていた横須賀鎮守府の部隊が配属されなかったため、片名基地は部隊未配備のまま終戦を迎えることになりました。現在、格納庫が1つ残り、幅2.9m、高さ2.4m、長さ約10mですが、土砂が崩れ落ちるまでは長さが20mありました。「新師崎」バス停東のプロパンガス店の西側の山肌にあります。

また、片名の北側の大井漁港には回天基地がありましたが、ここも部隊は未配備のままでした。「回天」とは、人間魚雷とも呼ばれる、魚雷を改造した水中特攻兵器です。漁港東側の丘陵には最近まで回天格納壕がありましたが、漁港整備に伴い撤去されました。

④中之院・軍人像

南知多町にある中之院に92体の軍人像が並んでいます。戦没した我が子を慰霊するため、遺族が建立したものです。生前の写真を基に作られており、表情が異なっています。当初は名古屋市千種区の寺にありましたが、廃寺となって中之院が引き取ったということです。

「一人一人が〝もっと生きたかった〟と無念の思いを訴えているようでした。これからの若者にこんな死が来ぬように、できるだけのことはしていかねばと思います」という感想が寄せられました。