依佐美米軍基地撤去運動の記憶

受難の像 ここは市民の憩いの場『フローラルガーデンよさみ』です。1997年までは米軍基地でした。高さ250メートルの8本の鉄塔とその上に張る総延長24,000メートルのアンテナは、市民生活に重くのしかかっていました。太平洋戦争開戦の真珠湾攻撃命令【ニイタカヤマノボレ】は、ここ『依佐美送信所』からも発信されたといわれています。戦後は、アメリカ海軍基地として核戦略の要を果たしてきました。
 わたしたちは、核戦争の危険とともに市民生活の不便、不安を指摘し、草の根から《基地なくせ》の運動を展開してきました。1984年には、“トマホークくるな”全国統一行動として依佐美基地を1万5干人で、1992年にも「人間のくさり」で包囲しました。手をつなぐおりには、「すみません、お地蔵さんのお参りです」の声に屈強な若い機動隊員が道を開きました。
 新婦人の方が基地調査中に破壊された「受難の像」の発見や、基地出入りの「電気屋さん」の仕事がなくなったことで『送信停止』を解明するなど、みんなで基地に目を向けていました。
 「基地なくせ」の世論をして、1994年8月に返還され、1997年3月、鉄塔が撤去され、68年ぶりに青空を取り戻しました。
 跡地は公園となり、一角には、当時の建物を模した記念館と、10分の1=25メートルの鉄塔が建ちます。記念館には、超長波送信設備の一部が展示され、2009年、電気、電子技術の「世界遺産」といわれるマイルストーン(歴史的記念物)に認定されています。
(刈谷市原水協事務局手記より)

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