2015年3・1ビキニデー 被爆70年 反核の大きな流れを
「核兵器のない平和で公正な世界を」をスローガンに2015年3・1ビキニデー原水協全国集会、ビキニデー集会が2月27日~3月1日静岡県焼津市で開かれました。アメリカのビキニ環礁での水爆実験による被害から61年を迎える今年、厚労省が「ない」としていた被災実態を昨年公表し、その被害の大きさに改めて驚きと怒りが強まると同時に、2ケ月後に迫ったNPT再検討会議を何としても成功させようと全国から多くの人が参加しました。
3月1日には雨のなか、久保山愛吉さんの墓参平和行進が焼津駅から弘徳院まで1600人の参加で行われ、午後から焼津市民文化センターで被災61年3・1ビキニデー集会が行われました。集会は世界大会実行委員会と静岡県実行委員会の共催で開かれ、2000人を超える人々が参加しました。焼津市長中野
弘道氏の来賓挨拶、広島・長崎市長からメッセージが寄せられました。2015年NPT再検討会議の成功を目指し署名を最後の最後まで広げることなどを討論、決意を固めました。
愛知県代表団は被爆者3名を含む130名を超える参加がありました。コープあいち、新婦人、労働組合、医療生協、地域からの参加また、愛商連が独自でバスを出すなど、被爆70年の年に反核の大きな流れをつくりだすにふさわしい3・1ビキニデーになりました。
【分科会の報告】
私は、2月28日~3月1日の2日間コースに参加しました。 アメリカフレンズ奉仕委員会のジョセフ・ガーソンさんからは、ウクライナ紛争やイラク・シリアのイスラム国問題で、核戦争の危険を示す時計は、3分前に変えられたとの報告がありました。戦争による緊張の激化は、核兵器の保有や配備によってひどくなっています。核大国・保有国による政策は、自国の利益と核戦争の危険という地球破壊とを天秤棒にかけるというものです。こうした、核抑止政策というものは、危険きわまりないものです。
また今日、非核保有国の核保有国に対する憤りも増している。NPT条約第6条に基づく核軍縮は進まず、2000年に合意した廃絶に向けての「交渉の席」につこうとしない米英仏ロ(P4といわれる)に対する憤りである。アメリカは、核兵器の近代化に1兆ドルも使っているともいわれている。
結局、核抑止論では核戦争の危険を強めることはあっても、世界の安全につながるものは、何一つないのです。 「原水爆の被害者は、私を最後にしてください。」という久保山さんの遺言は、今日においてもなお、全人類の生存の危機を救う言葉ではないでしょうか。
分科会は「非核平和のアジアを」に参加しました。この分科会には、韓国から参与連帯平和軍縮センターのイ・ミヒョンさんが参加されました。核の危険が密集する東北アジアで、朝鮮半島の非核化を中心とする平和をどのように構築するか。安倍政権の歴史修正主義の危険性が、各国で問題となっていることが、強調されました。韓国には7万人にものぼる被爆者がいるが、国内では被爆の実相がまだそれほど知られていないとの発言もありました。昨年の船舶事故では、500万の署名が集まったが、被爆の実相と署名を今後もとりくみ、4月のNY行動へも代表を送りたいとの発言もありました。この分科会では、愛知の平和委員会の正副理事長も発言し討論に参加しました。