解決の引延しは、罪の上塗り 三菱重工は、判決にすぐ従え!
名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会共同代表 高橋 信
6月24日(水)、午後1時50分過ぎに光州高等法院判決宣告法廷は開廷した。裁判長は、判決理由を15分ほど述べ、最後に次のような判決を言い渡しました。
〈主文趣旨〉
被害者ハルモニ3人にそれぞれ1億2000万ウオン(約1300万円)、もう1人の被害者ハルモニに1億ウオン(約1100万円:東南海地震による負傷・後遺症がないという理由で前記被害者より賠償額が減額されている)、妹と夫人に代わって訴訟を起こした遺族原告1人に1億204万ウオン(約1140万円)の金員を支給せよ。この項は、「仮執行できる。」
〈判決趣旨〉
幼い少女であった原告らを騙して過酷な労働に従事させた三菱重工の責任を認め、一審に続き、再び原告らに対する賠償を命じた。判決は、2012年5月24日の大法院判決に基づいたものであり、三菱が主張した別会社論、「日韓請求権協定解決済み」論などをことごとく斥けました。
〈判決報告集会での挨拶―名古屋支援会の活動紹介と決意〉
以下の文は、光州判決直後の判決報告集会で「名古屋支援会」を代表して私が、述べた挨拶文です。私個人が「勝利判決」に寄せて書いたものではあるが、名古屋支援会会員の気持ちをほぼ代弁したものでもありますので、会員の皆さんに「名古屋支援会」の毎週の金曜行動を理解していただくために、若干修正を加えて掲載することにしました。
〈挨拶〉
提訴以来、16年4ヶ月、朝鮮女子勤労挺身隊の被害を知って29年間、いろいろな出来事が、頭の中を駆けめぐっています。私たちは、韓国人にも日本人にも『あなたたちは、どうしてそんなに一生懸命活動するのか』と聞かれます。答えは、簡単です。日本国と三菱重工がハルモニの青春と人生を奪い、戦後ずっと謝罪も賠償せずに放置してきたという『悪事』を知って黙っているわけにはいかないからです。
原告の一人である金中坤さんは、2006年12月、名古屋高等裁判所の結審法廷で『加害者と被害者の違いは簡単です。被害者は死ぬまでその傷を忘れることはできません。被害者にとって、歳月の流れは悔しさと憎悪の増幅に他なりません。』『加害者たちは遠い昔話と思っているかもしれませんが、けっしてそんなことはありません。現に、被害者として私たちがこの法廷に立ち、ここに生きているのです。当時の加害者たちが犯した罪を他人事と認識していることは、実際に犯した罪よりも重い罪を犯しているのだと認識をしていただきたいと思うのです。』」と陳述しました。加害国の一市民としてこの言葉は、私たちを闘いに駆り立てずにはおきません。
今年は、敗戦70年。「少女」たちは、皇民化教育によって、「靖国神社の花と散る」とまで日本国と三菱重工を信じ、一生懸命働けば女学校に行ける、今に給料を貰えると働き続けました。その「少女」たちとの約束をすべて裏切った国と三菱重工の罪はあまりにも大きく、さらに70年もの間、国と三菱重工は、ハルモニたちに謝罪も賠償もせず、賃金も未払いのまま放置してきのです。私たちは、そういう国と企業を絶対に許すことはできません。私たちはまた、三菱重工が、安倍内閣の下で、日本一の軍事企業としてぬくぬくと利益を上げていることを許すことはできません。70年間も謝罪も賠償を放置してきた三菱重工は、その罪の大きさを心底から自覚し、直ちに社長自らがハルモニに謝罪し、70年間分の賠償金を支払うこと、それが三菱重工の最低限の罪滅ぼしなのです。原告の年齢を考えると、時間はもはやありません。上告は罪の上塗りなのです。私たちは、加害国の国民の責任において、原告が納得する解決まで闘い抜くことを誓います。
〈総会決定=10月10日に総決起集会を開催〉
今回、光州で原告らは私の手を握りながら、「名古屋の裁判があって今がある」「生きているうちに名古屋に行きたい」を繰り返しました。原告ら5人(1人:90歳、4人:80歳代中半)体調の衰退は深刻です。
7月2日(木)の総会では、10月10日(土)、原告全員を招いての総決起集会を開催します。「支援する会」の会員であるか否かを問わず、平和委員会の会員の皆さんの、ご参加を強く訴えます。
○毎週金曜日の品川行動の概要は以下の通りです。
《時間・形態など》
①8:15~9:30 品川駅港南口で宣伝:幟(のぼり)・横断幕展示、ハンドマイク宣伝、チラシまきなど
②9:40~10:25 コーヒータイム
③10:30~12:00 重工本社前で行動:幟・横断幕展示、チラシまき、シュプレヒコール
▼第1期(2007/7/20~2010/7/9)=145回:延べ1376人(員数186人):チラシ3万2千枚+α
▼第2期2012/8/10~2015/6/26)=140回:980人(員数約100人):チラシ25,739枚
▼第1期・第2期合計=285回、延べ参加者2,356人、チラシ枚数=57,739枚+α(不明分)