宗教者と手を携えて 幅広い市民との共同が広がる岡崎の平和運動

岡崎空襲記録する会HPより

この間、岡崎では空襲記録する会、核廃絶の運動、憲法の運動など平和委員会の会員が関わりながら幅広い市民との共同を広めています。

今回は、岡崎平和委員会の杉田隆志さんにお聞きした内容を編集部がまとめました。

①真宗大谷派とも手をつないで、核兵器廃絶の運動

核兵器廃絶のとりくみでは、真宗大谷派・宗派総長の「『ヒバクシャ国際署名』への協力のお願い」が呼びかけられていることから、昨年12月から市内90あるお寺への働きかけ。「平和の鐘」を新婦人が中心となり、取り組んでいることが推進の力になっています。

浄妙寺では、僧侶でシンガーソングライターの鈴木君代さんが音楽法要に参加し、「ヒバクシャ国際署名」の訴えをし、署名71筆と募金12000円を集めるなど、運動の広がりを作っています。

②岡崎空襲の運動、犠牲者刻名板設置の運動に注目があつまる

岡崎空襲は1945年7月20日に米軍B29による焼夷弾投下によって多くの犠牲がでました。これまで岡崎市は公式な発表を「207名」としていましたが、「岡崎空襲記録する会」として調査を続け280名と明らかにしてきました。そして2017年、市の平和記念式典で正式に280名の発表となりました。

市としては、戦没者(戦地での戦死や戦病死)と空襲などの碑はあるものの、空襲犠牲者だけのモニュメントはありません。そこで犠牲者の名前を刻んだ「刻名板」の作成と設置にとりくんでいます。本来自治体が行うべきものですが、市民として募金を集めながらとりくみをすすめ、2月22日には中日新聞三河版をはじめ、地域紙2社に報道されるなど注目されています。記事を読んだ市民から「81年前に岡崎連尺小学校に入学した私です。その頃の様子が懐かしく思い浮かびます」と手紙が寄せられ、また募金活動も行い4月20日時点で35万9000円が集まっています。

苦労したといえば、岡崎市との対応です。現在岡崎空襲の慰霊碑は岡崎市の買い物ひろばの一画をお借りしていますが、市の秘書課は犠牲者の名前の出所や遺族の承諾をとってほしいと、その対応に奔走しています。刻名板の除幕式が7月19日に開かれる「市民慰霊祭」で行われる予定です。そこに向けてあと3カ月ラストスパートです

③「岡崎空襲と戦争展」

5年ごとに民主団体が実行委員会をつくり「岡崎空襲と戦争展」を開催します。4月10日に第1回実行委員会を行いました。