豊川海軍工廠平和公園について

豊川海軍工廠平和公園

豊川海軍工廠は1939(S14)年12月に開廠し、1943(S18)年6月1日に豊川市が誕生しました。

最大5万6千人を数えた豊川海軍工廠も1945(S20)年8月7日の大空襲で民間人を含め2700人以上が犠牲となりました。

1995年の戦後50年を機に海軍工廠の悲劇を伝えねばという思いから、豊川市内の小中高の学校では学芸会、運動会、合唱、演劇…など様々な取り組みがなされて来ました。市民の中にある、海軍工廠のことを後世に伝えることは大事だということ、面として戦争遺跡が残るのは全国ではここしかないという思いを豊川市が受け止め、平和公園建設が動き始めました。2013年11月から5回にわたって検討委員会が開かれ、豊川市豊川海軍工廠平和公園は2018年6月9日に開園しました。

市内小学校の6年生は全員、平和公園で戦争や豊川海軍工廠のことを学ぶために勉強に来ています。開園から2020年4月11日までに平和公園を訪れた人は10万人を超えています。

公園に来られる人は市内を含めて東三河の方々が多いですが、全国さらには韓国をはじめ海外からの方もいます。海軍工廠で働いていた方が当時のことを話されることもあります。

公園内には旧第一火薬庫と旧第三信管置場という2つの大きな戦争遺跡がありますが、この2つはガイドが一緒でないと室内には入ることができません。公園は戦争遺跡見学のためだけではありません。

ゆったりとした芝生広場で、小さな子どもさんを伴った親子連れもたくさん利用されています。ガイドをしていますと、「良い公園を作ってくれた」という若いお母さん方から感謝の言葉を頂くこともありますが、当時を体験された見学者からは「当時はこんなに奇麗じゃあなかった。この風景は残念だ。」という逆の声もあります。

しかし、2つの戦争遺跡を室内で説明をしていて、「75年経ってもしっかり残っているんですね!」という感想を聞くと、やっぱりガイドをやっていてよかったと思います。

火曜日の休館日以外は毎日ボランティアガイドが皆さんをお待ちしております。