知恵と工夫の平和行進 核兵器廃絶の願いこめて岐阜へ

6/11 犬山市

初日も最終日も雨のあいち平和行進です。

前日に東海地方が梅雨入りしたという6月11日、雨の犬山城前広場で愛知から岐阜へのリレー横断幕の引き継ぎが行われました。

愛知県から沢田昭二あいち平和行進共同連絡会代表が「オンラインで開かれる原水爆禁止世界大会に向けて平和行進の成功を」と訴えると、岐阜県国民平和大行進実行委員会の小倉文雄委員長は「平和の波行動成功へ、平和行進の成果を積み上げ滋賀につなげたい」と応えます。

日本被団協の木戸季市事務局長は、「被爆者の苦しみを誰にも味合わせてはならない。世界の大勢は核兵器廃絶に向かっている」と力説しました。

今年のあいち平和行進は、コロナ禍の下内容の変更を余儀なくされた12日間でした。隊列を組んでの平和行進ができない分、参加者たちはいろいろな形で平和の思いを託します。

折鶴、ペナントが大きく広がりました。清須乙女座のお二人は12日間にわたって県内各地から平和を発信しています。智恵と工夫のあいち平和行進でもありました。

私たちの統一した運動・春日井

私たち春日井の2020年平和行進のとりくみは、コロナ禍の中で4回の実行委員会で粘り強い討議をくり返し、統一を大切に困難を克服し次への闘いにつなげたといえます。

一つは、自衛隊基地との関係で、基地要請をコロナ問題と結合し、初めて「増え続ける軍事費をコロナ対策費に廻せ」と要求を高蔵寺弾薬庫と春日井駐屯地にしたことです。尾中労連、新婦人、平和委員会の代表が参加しました。

二つは3年間連続して進めてきたヒバクシャ国際署名の駅頭活動を平和行進につなげ、行進当日「勝川駅」で15名の行進参加者で市民にヒバクシャ署名を訴えました三つは毎年恒例の終結集会が庁舎内で開催不能で3回の折衝で、市役所前の「平和都市宣言碑」広場を使うことになりました。

平和宣言文の「非核」姿勢が皆の話題となり、核廃絶運動の方向を学ぶことができました。春日井の平和行進を討議、実践する実行委員会は、8団体で組織するピースフェスタIN春日井で今回平和行進で新たに作り出した統一した力を「世界大会」そして「平和展」へと発展させたいと思っています。

どんどん増える!港区

6/7 名古屋市港区

年金者組合からは、この日のために折った7000羽の折り鶴が届けられました。

「密」にならないよう気をつけながら、スタンディングとリレートークでは、港湾労働者から港の厳しい状況が、「新型コロナで今年はいつものような平和行進ができない。でも黙っているわけにもいかないね」と、港区平和委員会がよびかけて、ららぽーと前で「スタンディング&お散歩平和行進」を行いました。

何をやっているかひと目でわかるように、横断幕や手作りプラカード、原爆パネル、うちわなどたくさん用意。年金者からは「軍事費よりもコロナ対策」など訴えがありました。

ららぽーとは若い人が多く、原爆パネルを覗いていく人もいました。その後の「お散歩平和行進」は、2~3人ずつに分かれて東海通交差点まで往復。初めは黙って歩いていましたが、自然発生的に「核兵器をなくそう!」「ノーモア ヒロシマ!ノーモア ナガサキ!」とシュプレヒコールが湧き起こり、カンカン照りの青空に負けない熱い「お散歩行進」になりました。

こんな時期だからと、参加の「声かけ」はするけど「お誘い」はしなかったのですがどんどん人が増え、参加者は55人に! 「仕事で忙しくてあまり参加できないけど、平和を願う気持ちはいっしょ」と平和新聞の読者が1人増えました。

各ポイントの総計は例年変わらない規模に 北区

6/7 名古屋市北区

北区の平和行進は、6月7日の日曜日、コロナ感染症対策のため、名古屋市内集中行進で歩いていたコースの主要な交差点5カ所でのスタンディングアピールを行いました。

(なお、始まる前に新婦人のメンバー中心に味鋺地域でも宣伝)上飯田交差点では、北医療生協の医師、看護師、職員や組合員のメンバーが、近くの北病院まで平和の思いでつなぐヒューマンチェーンをつくりました。

宣伝ポイントでの訴えを紹介すると、北病院で働く青年が、コロナ禍で働く友人の実態も紹介しながら誰もが健康で安心して働き続けることのできる社会をと訴え、保育士が世界大会に参加した際の被爆者の話を紹介し、核兵器をなくしたいと呼びかけました。

業者団体の代表は、中小業者が危機に直面する中でそれを支えるはずの持続化給付金の不透明な委託に怒りのスピーチ。平和でこそ商売ができると話しました。延べで240名の参加でした。