受け容れられない“同い年”の急逝 森英樹さん 追悼文(憲法通信6月号より)

◆最期になった会話と姜尚中さんからの質問

教員そして愛高教役員時代からの多くの想い出が頭をよぎり、言葉がありません。同い年だけに余計にです。最後に言葉を交わしたのは、昨年4月19日、市民アクション4月集会(千種区役所ホール)でした。講演で森さんらしからぬ「よどみ」が数回あり、凄く気になったので、帰り際「森さん調子はどうだね」と声をかけたところ、「同い年だからぼくの体調を他人事とは思わないで信(しん)さんも気をつけてな」と元気のない言葉と力のない握手が返ってきました。ずっと封印しておくべき「こと」なのかもしれませんが、その時、私はものすごく嫌な「予感」がしたのです。

そして、つい半年余り前の2019年11月3日、「愛知県民のつどい」で講師の姜尚中さんを接待役としてホテルに迎えに行った折り、姜さんが開口一番、「森先生はお元気ですか、今日は来られますか」と…。私は、正直、ドキッとしましたが、「はい、腰痛が少しひどくなっていますが、元気ですよ。今日は、講師で別の会場へ行かれています」と平静を装って応えました。

◆知られざる“エピソード ”

1993年の事です。私が勤務していた県立熱田高校文化講演会に森さんを講師としてお招きしました。タイトルは「君たちと憲法」、全校生徒1350人を一堂に集めての講演です。熱田高校の全校生徒向けの文化講演会は、当時民主的学校として “誉れ高い ”熱田高校の誇りでした。勝尾金弥さん(愛知県立大学教授:児童文学)、田中宏さん(愛知県立大学教授:日本アジア関係史)らそうそうたる講師を「戦争と平和、歴史から何を学ぶか」を基軸テーマにお招きしての実績があったからです。しかし、毎回、私たちの最大の心配事は「生徒は静かに聴いてくれるだろうか」ということでした。森さんは、話はうまいし面白いから大丈夫だろうと思ってはいましたが、一抹の不安がありました。

憲法の成り立ちと理念についての例のごとく歯切れのよい “余話 ”を交えての森さんの話は、生徒を引きつけ私たちの不安は吹き飛びました。その時の “余話 ”を二つ紹介します。一つは、新生統一ドイツ(90年10月3日)の話で、“旧東ドイツ地域では、犬や猫の交通事故死がやたらと多いけれど、どうしてでしょうか ”という問いかけでした。生徒は勿論のこと教員も、みんなで固唾をのんで考えました。答えは、「統一によって東独が、一挙に高速車社会の西独に飲み込まれ、犬や猫は、その変化について行けず、対応できなかったからです」でした。東西ドイツの違いと統一によるドイツ社会の変容を見事に説明する “森流 ”の問答は、「なるほど」と、会場の雰囲気を解きほぐしてくれました。会場の雰囲気に気をよくした森さんは、「ドイツは生涯同じ免許証を持ち続けます。つまり、免許証の写真は生涯変わらないので、路上などで免許証検査をする時、お年寄りの免許証を手にした警察官は、わあーとたまげるわけです」と、もう一つ “余話 ”をサービス。会場は爆笑のうずに包まれました。こうして森さんの「憲法講座」は、無事終わりました。因みに、森さんに講演依頼をしたのは、私ではなく津校と京大で森さんの2年先輩にあたる同僚の教師Iさん(19年逝去)でした。

◆平和運動、壊憲阻止運動の同志として心に残る3つのこと… 

1つ、私が新委員長となったばかりの1994年4月、恒例の「愛高教、春の一泊学習会」(三河三谷)で森講演の後、お礼の挨拶に伺ったところ、講演の中で触れられた小沢一郎の話になり、「彼は我々と同じ1942年生まれ。彼をのさばらせると同年組の恥だ。がんばろ」と、決意を交わしたことがあります。これ以来、森先生から「森さん」へ、高橋さんから「信(シン)さん」へと声を掛け合うようになりました。

2つ、名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟が、名古屋地裁で結審を控えた2004年春、「公正判決と早期解決を求めるアピール」に取り組んだ際、3人のよびかけ人の一人になっていただきました。3人とは、水田洋、本山政雄、森英樹のお三方です。森さん曰く、「なんや、スリーMやないか」と。髙橋応えて曰く「Mの前にビッグが付きます」。果たして「ビッグ3M」が功を奏し、よびかけに応えて下さった方々は、「天木直人、池田香代子、岩城宏之、小田実、上條恒彦、早乙女勝元、竹下景子、樋口陽一、小林直樹、杉原泰雄、定形衛、本秀紀、高橋哲哉、辛淑玉、中山千夏、森村誠一、本多勝一」(敬称・肩書き略、順不同)ら143人。森さん効果が「ビッグ」であったことが証明されました。

3つ、2007年、福田内閣成立(2007/9/26)直後に開催された「11・3県民の集い」で公会堂の薄暗い舞台袖のこと。「信さん、どうも福田内閣=改憲大丈夫論が、運動体にあるような気がする。心配だがどうかね」との一言。自分のことを言われた様な気がしてひやり。その後、安倍内閣の暴走が長く続く今日に至るまで、市民運動は、森さんから研究者としてだけでなく、市民運動家としても冷静かつ透徹した分析と多くの問題提起や助言をいただきました。その森さんの急逝、言葉がありません。

◆4月26日から一ヶ月と少し、実感が湧かないなかでの、「惜別」の言葉となりました。コロナウイルス禍に対する誤策・愚策の連続と「黒川問題」により急速に支持率を下げる安倍内閣をノックアウトするチャンスが現実化してきたいまこそ、森さん、あなたの情勢分析と問題提起が必要なのに。早すぎたよ森さん!

2020/5/31 愛知憲法会議代表委員 髙橋信