第71回愛知県平和委員会定期大会開催 平和要求に根差した活動の発展をつくろう!

愛知県平和委員会は8月30日、コロナ禍で延期となっていた第71回定期大会を開催し、18基礎組織の代表など48人が参加しました。コロナ禍に安倍退陣のもと、何とかしないと、と昨年より6人多い参加でした。

安倍首相辞任会見の2日後の大会。改憲勢力を追い詰めたことへの確信とともに、実質改憲(壊憲)にさらに踏み込む敵基地攻撃態勢づくりを許さないたたかいを、小牧基地と隣接する三菱重工小牧南工場が長距離巡航ミサイルを搭載して適地を攻撃するF35の整備拠点とされ、同北工場がミサイルや衛星の開発の拠点とされている愛知で大いに進めようと討議しました。

高橋理事長は、安倍政権が執念をもってとりくんだ9条明文改憲は失敗に終わったことに触れ、市民運動が作った成果であり、当面明文改憲は難しい状況。今後コロナ禍に乗じて「緊急事態」を理由にした改憲策動を強める可能性があると指摘しました。

討論では、20人からの発言があり安倍継承内閣とのたたかいに向けた発言などが交流されました。特徴の1つは、平和の要求と結びついた活動がすすみ、そのことが仲間づくりにも結びついていることでした。平和行進やオンライン世界大会など会員からの「とりくみたい」との思いを受け止めての活動を仲間づくりにつなげている港区。基地の問題に取り組み、岐阜基地の騒音問題で訪問活動をつうじて切実な声が寄せられた犬山や、800m圏内に学校や保育園20カ所ある陸自守山駐屯地のヘリコプターの騒音などの問題を取り上げていきたいと守山など、地域の要求に根差したとりくみがすすめられています。

また、青年学生部は、コロナ禍のもとでも5・3憲法アンケートや学習会などを、インターネットを活用してとりくんだり宣伝をするなかで新しいつながりと結びつきを広げています。さらに次世代の活動の前進をめざし、小中高生の子を持つ会員を中心にした対策会議をたちあげ。戦争展学習会や戦跡ツアーを企画。コロナ禍で中止となりましたが約20人でLINEグループを立ち上げ、小中高生のつながりが約30人にまで広がっています。

特徴を持ったとりくみは、コロナ禍にSNSなどを活用した新しい活動のあり方、そして次世代に平和運動をつなげていくための問題意識を交流する討議となりました。

第71回定期大会で選出された役員

理事長   〇小島 俊樹
副理事長   林  達也 三浦 米吉
      〇嶺村 君代
事務局長   矢野 創
事務局次長  坂本 敏彦 滝田 伸幸
常任顧問   井上 利雄 沢田 昭二
      〇高橋 信

理事長を退任しました。“長い間”ありがとうございました。

髙橋 信(常任顧問)

〈平和委員会に加入した契機は〉

1997年11月、日本平和大会IN沖縄に愛高教として参加した帰途、那覇空港で岩月康範さん(県平和委員会事務局長(当時))に勧められた時からです。

「愛高教として加盟しているでしょう」と逃げたところ「個人加盟です」と言われ逃げるに逃げられず加盟しましました。

〈理事長になった経緯は〉

8/30 民主会館

私が平和運動に関わったのは、1961年、つまり「60年安保」覚めやらぬ大学一年の時、平和憲法が危ないと思ったのが切っ掛けでした。

岸内閣により憲法調査会が設置(1957年~64年)され、初めて明文改憲が声高に叫ばれていたのです。以来、学生生活4年間、平和運動の面では、ベトナム戦争と日韓会談反対運動に没頭しました。そして平和憲法を守るには、「教育が勝負」と考え、教師の道を選択しました。世界史の教師として、また愛高教組合員として「教え子を戦場に送るな」(日教組)の旗印の下で平和教育にとりくみ、各種教育研究集会で実践報告をしてきました。1981年全国教育研究広島集会平和教育分科会でも報告をしました。

やがて一番やりたくなかった“愛高教専従”にとの声がかかりはじめ、いろんな「経緯」から断り続けてきました。定年退職まで10年という1993年暮れ、愛高教役員選挙後援会から委員長にとの声がかかりました。逃げの理屈をあれこれ考えましたが、これ以上逃げては、お世話になってきた「愛高教に迷惑をかける」と腹をくくりました。

当時、愛高教は一つのポストに複数の立候補があり、激しい役員選挙戦がありました。私を推した後援会が役選ニュースで「 “平和”の委員長、高橋さんを」と打ち出したのです。以来、その「イメージ」が愛高教外の共闘組織にも広がり、愛知県平和委員会の「お眼鏡にかなって」しまったようです。

実際、平和委員会の方々と平和宣伝・集会で一緒にマイクを握ることがよくありました。そして、退職2年後の第56回定期大会(2005年7月3日:労働会館本館〉で理事長に選出されました。

〈理事長として心がけてきたことは〉

次の5つを目標にしてきました。①学ぶ平和委員会、②情勢に敏感な平和委員会、③青年とともに歩む平和委員会、④ 増え続ける平和委員会、⑤決めたことはやりきる平和委員会です。

正直、今も自分でも惚れ惚れする「素敵」な目標だと思っています。

〈最後に座右の銘を一つ〉

“すべての理論は灰色だ。生命の樹々は緑だ”(ゲーテ『ファウスト』)。レーニンが座右の銘としたそうです。

◆15年間(人生の六分の一になる予定)、ほんとうにありがとうございました。

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