平和展・慰霊式など各地で 平和の想い交流する機会に

●第28回の春日井平和展

7/28 春日井市

7月27日から8月2日まで春日井市民ギャラリーで第28回平和展が開催されました。会場は、市役所に隣接され普段は予約で一杯ですが、この時期は市が実行委員会と調整して開けてくれ、費用も無料だそうです。

会場に入るとひときわ目立つのが、木製の飛行機のプロペラの羽と尾翼。尾翼は金属で補強されていますがかつては、木で戦闘機も作られていたそうです。その手前には戦時中の道具や勲章などが展示され、今年は壁一面に市から提供された平和首長会議の原爆パネルが展示されていました。その横に基町高校生の描いた原爆の絵(コープあいち)。平和の絵手紙と絵本(新婦人)。春日井市平和委員会も沖縄宮森小学校への米軍機墜落事故と、小牧基地の自衛隊機の事故の実態などを示して危険を訴える展示をしていました。コロナ禍の中「感染症と戦争」の展示もあり、第1次世界大戦の頃流行した「スペイン風邪」と、戦争や戦後処理への影響など興味深いものでした。

●120名以上の来場者でこまき平和展開催

24回目の「こまき平和展」が、8月21日~25日、味岡市民センターロビーで開催され、5日間で120名以上が来場し無事終了しました。多くの方々から戦争に関する遺品や平和に関する資料、また開催中も来場者から遺品の写真や戦時中のラッパ・水筒などの提供を頂いています。
 今年は、来年以降に活かしたいとアンケートをお願いし、50通の回答が寄せられました。多くの方との対話も生まれています。「父が中国に行っていた」とか「戦前名古屋に住んでいて空襲はひどかった」、中には「戦争は本当にイカン。私の父も戦死した。頑張ってください」と目に涙を浮かべる人も。また、「戦争展ではなく平和展の名称がよかった」の意見。

「広島・長崎で被爆者を前にした安倍さんの『保有国と非保有国の核廃絶の橋渡しをする』発言とか辺野古のことなど問題だらけなのに、あの神経がわからない」の声や、「戦争の記憶は少しある」という昭和16年生まれの方は「日本が核禁止条約の署名国になぜ無いの?」「日本こそ真っ先に署名すべきなのに」と憤ります。

「平和展」には小牧市・小牧市教育委員会から後援をいただき、ヒバクシャ国際署名は20筆が寄せられました。

●岡崎空襲市民慰霊祭 念願の刻名板除幕式

7月19日、シビコ西広場の慰霊碑の前で岡崎空襲を記録する会主催の第44回岡崎空襲市民慰霊祭が行われました。心配されました天気ですが前日の雨もやみ一安心しました。

参加者は来賓の岡崎市福祉課次長。岡崎市教育委員会代表の方をはじめ70有余名でした。慰霊祭の模様は7月21日の東海愛知新聞の一面に写真入りで詳細に報じられています。

また席上鈴木静扶さんの空襲体験のお話しがあり、当時をしのんでいた方も大勢いました。今年は岡崎空襲や戦災で亡くなった279名の刻名板の除幕式も行いました。刻銘板の設置は、数年前から岡崎空襲を記録する会で何回か討議してきました。また管理者の岡崎市とも何回も協議してきました。刻名板制作資金は、公募で会員はもとより一般市民の方々120余名の方より温かい励ましを込めた寄付金をいただくことができました。おかげで目標金額を達成することができました。「記録する会」は、この力を今後長く大切にして、後の世代へ慰霊碑と共に伝えたいと思います。

慰霊祭も伊東三学師の読経の中、参加者各位の献花もすすみ、最後に香村前会長の閉会の辞で今年の慰霊祭は無事に終了することができました。