第72回愛知県平和委員会定期大会 平和の声を、平和の輪をもっと大きく
愛知県平和委員会は4日、民主会館とオンラインを併用し第72回定期大会を開催しました。参加者は61人 (オンライン17人含む) で、昨年48人、一昨年42人と年々増えてきました。討論では14人が発言しました。
米軍事戦略の拠点をかかえて
空自小牧基地に隣接する三菱重工はF35自衛隊機の最終組み立てと、米軍機などの東アジアの整備拠点となっています。また愛知は地対艦ミサイルの生産拠点も持ち、敵基地攻撃、対中包囲戦略と深くかかわっています。報告と提案では、このことを広く知らせる平和委員会の役割の重要さが強調されました。
討論では、陸自第10師団の司令部のある守山区平和委員会から「2015年から展示訓練で殺し殺される場面を多く出すようになった。市民に対し、『海外で人を殺さなかった自衛隊』ではなく海外で戦争することは当たり前という思いを定着させようとしているようだ」との発言がありました。
青年学生部からは、5月と11月の憲法アンケートの結果が報告されました。今年発効された核兵器禁止条約については、76・9%が批准すべきとの回答で「核兵器廃絶が青年の思い」と語りました。
組織建設で、千種区名東区平和委員会の結成の教訓では、平和運動の情報がつたわらない「陸の孤島」と実態を紹介しながら「だからこそ、会をつくる意義があった」と語りました。
仲間づくり目標では、会員実増30人、新聞同50部を提起。討論のまとめで矢野事務局長は、毎月着実に進め達成しようとよびかけました。
記念講演 こんな日本になぜなった? ~60・50歳代のエリートが育った時代と教育
日本財団が行った「18歳意識調査」によると「自分の国は将来よくなると思う」と答えた割合が日本は、9・6%。途上国は概して高く先進国は低い傾向にあるが、韓国22%に比べても極端に低い。そのことから「こんな日本になぜなった?60・50歳代のエリートが育った時代と教育」と題して、高橋信さんが記念講演を行いました。
高橋さんが教員になった1970年代は、教育への締め付けや管理教育に対し、教職員が果敢に抵抗し、それを支持し立ち上がる高校生もいたが、80年代になり反動・反革命の嵐が吹き始める。そういう時代に勝ち組になったエリートが60・50歳代になっています。
青年をめぐっては「自己責任感」から社会的要求をすることに二の足を踏み、若手学者、学生に「オールタナティヴファクト」(真実は一つにあらず)という言葉が蔓延している問題をあげました。山口大学名誉教授の纐纈厚さんは、虚偽や嘘を批判する姿勢が弱く、政治的無関心では片付けられない指摘していますが、青年が希望を持てる未来を示すことが必要だと思いました。
愛知県平和委員会定期大会の発言から
市民要求に基づく継続した平和活動を
会員も少なく力もない小牧平和委員会ですが、労組や民主団体でつくる「平和で住みよい小牧をつくる会」に結集して、数々の運動が進んでいます。
平和問題12項目を含む「70項目の市民要求」運動を30数年続ける中で、市長から文書回答をもらい懇談ができるまでに。平和首長会議に加盟し、「小牧平和展」に市・市教育委員会の後援を実現するなど、後ろ向きな市長の姿勢を変えてきたのは、市民要求に基づく継続した平和活動の成果です。
数々の欠陥を抱えるF35戦闘機の問題では、愛知で修理点検が行われ、県営空港である名古屋空港に同機が飛び交う実態に、声を出して行動することが大切であると思います。平和を求める声を地域からあげていきたいと思います。
若い人たちとのつながりを求めて
若い層の活動団体が解散・休止の中、「若い長寿組織づくり」を正面から考えなければなりません。会員の高齢化は避けられませんが、若い層を迎え入れながら組織の長寿化を図ることは可能だし、必要です。
この1年間、戦跡めぐりやフィールドワーク、受験生アンケートなど、若い人たちを対象に、年配者も含めて取り組みました。そんな中で、若い人と年配者の間に垣根はないことがわかりました。参加した小学生が「家族と一緒に考えることができてよかった」と、次には友だちを誘ったりという経験も生まれています。受験生アンケートでは、ライン登録やメールアドレスを教えてくれるなど、ポジティブな回答も増えています。
中高生対象の企画に何度か参加している女子中学生の発言、「教科書にも載ってなくて、学校で教えてもらえない内容を知ることができた」「興味がわいた」にこれからの希望を感じます。
平和行進での仲間づくりの経験 呼びかけを待っている
2019年の平和行進では、全国通し行進者小林和江さんの「いつでも、どこでも、誰にでも」の姿勢に影響を受けて、小林さんとともに会員8人、読者25人の仲間を増やしました。
昨年は突然のコロナ禍で対応できませんでしたが、今年は常任理事会でその意義を討議、地域にも協力を呼びかけて、小林さんのようなスーパースターがいない中で、9人19部の新たな仲間を迎え入れています。
常任理事会での討議で仲間づくりを位置づけ、働き手と地域の協力を大きく広げたこと。仲間づくりが強力な組織をつくり、新たな地域平和委員会づくりの力になると訴えたことなど、今後の運動にとっても教訓になるような経験でした。私たちの周りには、私たちの呼びかけを待っている人たち、協力の訴えに応じる人たちがいっぱいいるのだと思います。
宣伝・学習、監視活動を旺盛に
昨年秋以降の港区平和委員会の活動を報告します。
核兵器禁止条約発効要件の批准50か国に合わせて、ららぽーと前での定期宣伝行動を開始しました。月1回の役員会で話し合うことで、こうした行動も軌道に乗っています。
6月12・13日には、名古屋港に自衛艦「はしだて」が入港。県平和委員会とともに名古屋港管理組合に抗議・申し入れを行い、会員らで監視活動を行いました。
3月に名古屋出入国管理局(入管局)でスリランカ人女性のウィシュマ・サンダマリさんが亡くなった問題で、入管局を抱える港区平和委員会として学習をしたいと、山口清明前市議と外国人実習生問題に関わる榑松佐一元愛労連議長を招いて、7月3日、18人の参加で学習会を行っています。すぐそばにあるのに、そこで何が行われているかも知らなかったし、開設時には元特高だったという人物も関わっていたという話も聞きました。
自衛隊・核兵器といった問題だけでなく、社会問題も大いに取り上げて、地域の労組・民主団体にも呼びかけて活動していきたいと思います。
核兵器禁止条約発効の歴史的意味
国連が発足され、「国際紛争は平和的手段によって解決を図る」とする国連憲章ができたにもかかわらず、その国連発足と重なって、広島・長崎に原爆が投下され、核兵器によって脅す人類の新たな歴史が作られてしまった。
いま核兵器禁止条約は、核兵器を持っていない小さな国によってつくられた。核兵器保有国や同盟国である日本は米国に従属しているので、背を向けている。
これまで国連などの世界の条約は、大国が主導して作られてきたが今回の条約は、これら核兵器保有国が反対しているにもかかわらず世界で3分の2を超える小さな国が、力を延ばして作った条約です。
そういう意味では、大国が支配する時代から、小さな国、民衆の力が、世界政治の上で役割を発揮する時代に入った。人類史的な意味で大きな変化を作り出す、新しい人類の出発点となる条約となった。第2次世界大戦が終わって国連憲章が作られたと同じくらい大きな意味を持ちうるものだ。
隊員に死を覚悟させる政府 会の役割が大事に
陸上自衛隊第10師団の基地公開のイベントでの展示演習は、勇ましい隊員の姿を見せていましたが、集団的自衛権の行使容認と安保法制成立を境に、戦闘で死傷者がでる、敵の捕虜になるなど一般市民や家族が見ている中で何故、と思うような内容も増えてきました。
守山区平和委員会は6月20日、「愛知を戦争の拠点にさせるな」学習会を、オンラインで視聴しました。そのなかで戦闘経験のない隊員に、死を覚悟させるよう迫られていることを知りました。今まで戦争で殺し合いをしてこなかったことを、良かったと思う人は多いと思います。でもその価値観は否定され、国民も、自衛隊員が戦争に参加することが当たり前と思うようになる。憲法9条を変えることはそういうことだと思いました。
守山区では、会員がいろいろな活動に参加して忙しそうで、独自に行動提起が出来ませんでしたが、今平和委員会として発信することが大事だと思います。
第72回大会で選出された役員
理事長 小島 俊樹
副理事長 林 達也 三浦 米吉 嶺村 君代
事務局長 矢野 創
事務局次長 坂本 敏彦 滝田 伸幸