政府・三菱は謝罪と補償を一刻も早く 演劇「ほうせん花」つなぐ記憶と継承
愛知県民の手による平和を願う演劇の会第36回公演「ほうせんか 2022朝鮮女子勤労挺身隊~つなぐ記憶と継承」(名古屋・三菱朝鮮女子勤労挺身隊の歴史の真実と支援する会の運動)が名古屋市公会堂大ホールで9月10日・11日、3回公演でおこなわれました。
戦争中、全国の航空機の40%を生産していた愛知で、深刻な人手不足を補うために、三菱重工で働かされた少女たち。「幸せだったのは14歳まで」と語り、過酷な日本での暮らしが描かれます。東南海地震で6名が亡くなり、戦争が終わると着の身着のままで帰され、手荷物は給料と一緒に送るという約束は守られませんでした。熱田高校の教師が三菱から入手した、東南海地震犠牲者の中にあった6名の朝鮮の住所を頼りに犠牲者を尋ね、朝鮮女子勤労挺身隊の調査や支援の活動が始まりました。そして、元朝鮮挺身隊ハルモ二たちは、54年後の1999年に裁判に訴えます。東南海地震で妹を亡くし、その友達と結婚し原告となった男性は、名古屋高裁の最終弁論で「妻や妹は、日本に行かなければ幸せに暮らせた。日本が犯した罪を他人ごとと思っているなら、もっと重い罪を犯している」と語りました。名古屋高裁は、強制連行・労働の事実を認め個人の尊厳の否定は違法、国の賠償責任がないことを否定、三菱重工も責任を負う余地があるとしながら、消滅時効と、日韓請求権協定で戦後補償は解決しているとの理由で、敗訴の判決。そして、上告も棄却されてしまいましたが、ハルモ二たちの“恨”を晴らすことが目的と支援は続き、高裁判決後から始めた三菱本社前での金曜行動を、今も続けています。
演劇を観て、ハルモ二たちの怒りや無念を歴史の闇に葬り去ろうとする卑劣な日本政府と三菱重工に対し、支援する粘り強い活動。日韓友好の希望はここにあると思いました。