渥美半島・田原市で平和委員会の再建を 草の根の運動を地域から
田原市渥美半島は、富国強兵の明治時代、陸軍の大砲の試射場が弾道下の伊良湖岬村全村を移転させて設置するほどの広大な敷地を使って1945年敗戦まで稼働していました。戦後米軍の試射場として使用予定のところ、住民運動で断念させた輝かしい平和運動がありました。(石川県内灘村の内灘闘争は伊良湖射場断念によってもたらされたものです)
近年では、旧赤羽根町で「核兵器廃絶ヒロシマ・ナガサキからのアピール署名」を1985年、県下で最初に達成したところでもあります。さらに2012年、半島の最高峰328mの大山(おおやま)頂上に設置する大山ヘリパッドを、地元住民・環境団体・平和委員会などの見事な共闘で断念させた平和運動の歴史を持ったところです。
この間、会員を一人ひとりこまめに訪問しがんばってきたSさんが亡くなってから田原市平和委員会は休止状態になっていました。しかし、敵基地攻撃能力の保有、G7ヒロシマビジョンでの核兵器抑止論など、「新しい戦前」ともいうべき情勢の中、今年10月の「市政20周年記念」に発表する「田原市非核・平和都市宣言」制定案の発表の中で、田原市平和委員会の再建の機運が盛り上がりました。
7月23日、県平和委員会矢野事務局長を迎え、「安保三文書と私たちの運動」をテーマに学習会を開催し11人の参加者で成功しました。平和委員会を全く知らなかったFさんは、学習会終了後、安保条約が日本を縛り付けており、安保は廃棄すべきと日ごろから思っていた、「平和委員会は個人加盟が強み」「一人ひとりが抵抗者になろう」が心を打ったとその場で加入、平和新聞を読むと言ってくれました。もう一人のKさんは、再加入で計4人となり、さらに仲間を増やし渥美半島の平和運動の伝統を守る決意です。