第2回聖霊中等部・高等部 「瀬戸地下軍需工場跡地」見学会に参加して

10月21日(土)瀬戸市の水野公民館で、第2回「瀬戸地下軍需工場跡地」学習・見学会が開催されました。参加者合計は22名でした。聖霊中等部からスクールバスに担当教員をはじめ生徒1年生から3年生合計15名が乗り込み元気よく公民館に集合してきました。彼女達は公民館の階段を「キャッ!キャッ」と言いながら駆け上ってきました。そして大きな「挨拶」。わたしたちは大変「気持ち」が良く、彼女達を受け入れられました。

「地下軍需工場跡の地」に関する学習会では大変面白い例題が寺脇さんから提示されました。それは旧中学校入試に関するもので、「国史」でありました。参加者と同年齢が解いたテキストであり、その文面には「忠君愛国」・「挙国一致」等の言葉が出ており、とても現在の12歳から15歳の生徒には理解不能な言葉でありました。そんな言葉を旧中学校向けの入試問題に出題されていました。「時」は日中戦争の時代であり、また満州国が成立していた時代であります。12歳の生徒に「日」・「満」・「支」3国が「仲良く」なる為には、どうしたら「良いでしょう」等と問いかけられていました。その「問」の背景には「日本国」が「満」・「支」より優れている国である事が「隠され」ていました。

そんな寺脇さんの説明を聞く中で、筆者は「教育」の恐ろしさを学びました。教育は一歩間違えれば「狂育」に転落してしまう事です。果たして「万世一系」等は歴史的に正しい事でしょうか。わたしの伯父は20歳で1945年5月24日鹿児島県鹿屋基地から19時24分沖縄に向けて特攻に飛び立ちました。現在も鹿屋基地には「遺影」・「遺書」が掲げられています。特攻機の「部品」の「一部」を瀬戸地下軍需工場で製作していました。資源が乏しい日本は、市民から部品などの原材料となる「鉄」・「銅」・「その他貴金属」の「供出」を強要して迄も確保に努めていました、と説明が為されました。

生徒さんたちは人生の中で1度しかこの様な経験は出来ないかもしれません。ウクライナ・パレスティナで悲惨な戦争が行われています。同じ年齢の子どもたちが命を落しています。決して戦争は起こしてはならない。2度と戦争は起こしてはならない。この「想い」を大切にし、地域で「平和教育」・「平和学習」を「義務教育」の根幹として、浸透させていかねばならないと痛感しています。