ノーモア被爆者愛知訴訟

4月24日に傍聴した天谷さんに感想を寄せてもらいました。
高杉新太郎さんの意見陳述が始まった。その中に、“全身が焼け焦げた母が、生きているか死んでいるかも分からない子供に乳をやっている姿を見ました”という一文があった。高杉さんは、“全身が”まで言うと、ここから先は言葉が詰まり、首を横に振って下を向き、話すことができなくなった。数十秒の間を置き、重い口を開き、再び話し始めた。涙声で、細い声であった。65年以上の歳月がたとうとも、被爆者の傷は癒えるどころか、心身ともに深くなっているように思われた。
原爆症認定を求めることは、原爆が引き起こす真実の姿を明白にする。だからこそ、原爆症として認めてほしいという被爆者の切なる思いがどうか届いてほしい。
また、この裁判では、表面上は国に対してであるものの、その裏側には自分自身を本当に立ち向かうべき相手としてみなしているように思う。自分自身との闘いに、けりをつけるためでもあるのではないだろうか。