私には4つの名前がある 千種名東平和委員会の例会

千種・名東平和委員会では、10月1日本山の生協文化会館で学習会を開催しました。金源道(キムウォンド)さんを講師に、「在日朝鮮人として日本で生きること」というテーマでお話していただきました。金さんは、高橋信さんが長久手高校の教員時代の教え子で、生徒会長として制服自由化を闘ったそうです。以下は、金さんの話を紹介します。

私は、1955年和歌山県生まれ、小学校1年生から名古屋で育ちました。はじめは、現在の東山動植物園の駐車場になっている「朝鮮人部落」に住んでいました。とても貧しく、生活習慣も違っていたため、友だちを自分の家へ呼ぶことはできませんでした。父は15歳の時に日本へ密入国した1世で、学校に行っておらず読み書きができません。しかし、「学問があってもしょうがない。金さえあれば、日本人も頭を下げる」と豪語し、実際に財を成して豪邸を建てました。また、女性蔑視がひどく、自分の妻つまり私の母にいつも暴力をふるっていました。それで、私は父が大嫌いで、韓国人であることも嫌でした。しかし、大学1年生のときの韓国訪問で父の故郷に行き、自分は何人か悩みはじめました。私には、4つの名前があります。通名の「金村源道」「金源道(キンゲンドウ)」「金源道(キムウォンド)」「金源坤」。最後の名前は、父の故郷で見た族譜から知りました。その後、韓国の民主化運動に参加するようになり、現在も在日韓国民主統一連合に属して活動を続けています。