港区平和委員会・平和バスツアー 半田空襲の痕をたずねて
5月25日、港区平和委員会は「第3回平和の旅」として「知多半島と半田市&こだわりランチの旅」を実施しました。参加者24名。半田空襲と戦争を記録する会のスタッフの案内で、雁宿公園の戦災犠牲者追悼平和祈念碑など……機関銃掃射の痕がある赤煉瓦建物(ビール工場だった)……中島飛行機場の跡を見学。昼食後、雁宿ホールで交流会……新美南吉記念館……軍需工場である三菱、東レの工場を車窓から見ながら港区に帰りました。
「戦災犠牲者追悼平和祈念碑」は市民の募金で建立。中島飛行機半田製作所の空襲被害者432人の氏名が刻まれています。「とくに、当時、日本の植民地とされていた朝鮮の北部から連行された青年49人以上がこのなかに含まれることは、まことにいたましいことです」と記されています。朝鮮人徴用者も、本名で徴用されて働いていた女学生の名前もあります。東南海地震で死亡した96人の学徒も戦争犠牲者として扱い、「殉難学徒の像」もあります。交流会では、梶田稔さんから、半田空襲について説明を受け、有留麻由(半田市議会議員)さんから、自作した絵本「ロボットになったあきおくん」について、動画を見せてもらいながら、製作にまつわる話を伺いました。これは、記録する会の佐藤明夫さんが語った戦争体験を絵本にまとめたもので、戦争体験継承の有効な工夫に思えました。半田空襲の特徴は、一般の民家ではなく軍需工場が中心。これは半田市が経済振興のために軍需工場を誘致したからの由。今の半田は、日本で初めて非核平和都市宣言(1958年)を行ない、平和運動にも協力的です。
地元の方推薦のお店での昼食も好評で、おいしいものを食べながら戦争について学び・考える有意義な一日になりました。