西区平和委員会設立へ 豊川海軍工廠跡を巡る平和ツアー

2/22 海軍工廠犠牲者の供養塔

「この取り組みを機に、西区平和委員会のスタートとなります」――2月22日、西区平和委員会の「豊川海軍工廠跡を巡る平和ツアー」に参加する人たちが、小雪舞う浄心交差点の一角に集まりました。豊川に向け出発したマイクロバスの中であいさつをした加藤勇来代表の発言に、この日の立ち上げに向けて準備を進めてきたメンバーの思いが篭ります。

豊川稲荷前に到着した一行は、現地案内役である田原市平和委員会の安間槙さんと合流、早めの昼食をすませた後、豊川稲荷裏手にある海軍工廠空襲犠牲者の供養塔を訪れました。供養塔の台座に刻まれた2500人以上の人々の名と、26分間に3356発の250㎏爆弾で犠牲になった事実に、参加者は言葉を失い悲しみに包まれます。犠牲者の中には、大人の徴用工に混じって学徒やまだ幼い女子中学生、朝鮮人たちが含まれているのです。

186㏊の敷地に5万人以上が働いていたという豊川海軍工廠跡地は、戦後は名古屋大学や陸上自衛隊豊川駐屯地とされたほか、民間企業に払い下げられ、軍産学が共存する所となりました。一行は、名古屋大学敷地の一角に2018年にオープンした平和公園へと向かい、ボランティアガイドの案内で残された遺跡を見て回ります。旧海軍工廠跡をグルリと回る車中では、城下英一県平和委員会副理事長が、「戦争する国」づくりへ変貌する自衛隊と殺傷武器製造を加速させる愛知の軍需産業の実態を解説しました。

帰りのマイクロバスは、「年寄りだからと何もしないでいいことはない」などの感想・決意が参加者から語られ、加藤代表も「今日の学びを明日の運動のエネルギーに」と訴えるのでした。

西区平和委員会の発展にと、仲間づくりへの挑戦も果敢に展開されました。この日の取り組みで会員1名、「平和新聞」読者2名が新たな仲間に加わったのですが、帰りの車中での感想交流で「私、今日仲間になりました」と喜々として発言されていたのが印象的でした。