「恵庭事件」を通して見えてくるもの 「憲法を武器としてー恵庭事件50年目の真実」上映会
「憲法を武器としてー恵庭事件50年目の真実」の上映会が、2月15日、民主会館に30人が参加して行われました。
自衛隊の演習による騒音被害によって牛の乳量が落ち家族の健康も損なわれた牧場主兄弟が、止むに止まれず行った通信線切断という実力行使。自衛隊法違反で起訴された裁判は、自衛隊が合憲か否かを争うものとなりました。
被告の弁護には全国600人の弁護士が声を上げ、400人の弁護団が組織されます。弁護団は、理論・弁論・世論の「三論一体」で裁判を進めることを申し合わせました。映画は、裁判の推移を克明に描いていきます。弁護団が自衛隊幹部に迫るシーンは圧巻です。
「私たちは被害者、加害者は自衛隊」―被告の追求にまともに答えない自衛隊側、「自衛のためなら核保有も合憲」とまで憲法解釈が変質していきます。元陸将は「自衛隊は軍隊」とまで供述しました。弁護団の一員として自衛隊に迫ったのは若き日の内藤功弁護士、現在の日本平和委員会代表理事です。
時あたかも、有事の際には日米共同行動の「三矢作戦」計画が明るみに。その後、集団的自衛権行使容認と戦争法で現実のものとなりました。裁判は、「違憲法令審査権」を口にしていた裁判官の姿勢の後退もあり、牧場主兄弟を無罪としたものの自衛隊違憲の憲法判断は避けます。後に「上からのお達し」が明らかになりますが、行政や司法が時の政権に忖度するのは昔も今も同じなのでしょうか。「事件」発生以来6年の歳月をかけてたたかわれた裁判―裁判半ばで亡くなった母親の「憲法が生きているなら私たちを守ってくれるはず」の言葉と、裁判の最後に被告らが語った「母の死と裁判のために費やされた貴重な時間、失われたものは永久に返ってこない」の発言が重く響きます。平和憲法の大きさは、失ってみて初めて分かるのかもしれません。しかし失ってからでは遅いのです。
上映会のあいさつで県平和委員会矢野事務局長は、「3000万署名をやりきるために、映画をおおいに活用して各地域で上映会に広くとりくんでいただきたい」と訴えました。「恵庭事件」裁判が問いかけたものと、私たちがとりくむ3000万署名には共通したものがあります。とりくみのお問い合わせは、事務局までお願いします。