2025年あいち平和行進 奥三河に響く100人超のピースコール
被爆80年を迎える今年、あいち平和行進共同連絡会では、県下54市町村を平和行進でつなぐべく、検討を重ね議論を積んできました。そして、「歩く」を基本にスタンディング宣伝を含めた全市町村での平和行進を実現したのです。一番困難が予想された奥三河コースでは、地元の人たちと議論を重ね、他地域からのキャラバンの協力も得ての実現の運びとなりました。

6月1日、新城市に前泊した人たちを含め11人のキャラバンが目にしたのは、出発集会の開かれる新城市役所前に集まった、50人を超える参加者でした。それも、従来の私たちの仲間ばかりでなく、保守を含めた市会議員らが集まったのです。議員を代表して、議長があいさつを行っています。
6歳の時に広島の爆心から1・6㎞の所で被爆した男性が参加、「原爆で死んだ人の年齢が13~15歳に集中している。当時、中学生が主たる労働力になっていて、建物疎開に動員されていた中学生が原爆の被害に遭った」と、当時の状況について語りました。彼は新城市だけでなく、その後の設楽町、豊根村の平和行進でも、先頭で横断幕を持って歩いたのでした。
最後の東栄町では浅尾もと子町議が、被団協のノーベル平和賞受賞を契機に、委員会では不採択だった「政府に核兵器禁止条約への参加を求める意見書」が、本会議で趣旨採択された議会の変化を報告、「被爆者のみなさんの粘り強さを見習いたい」と述べて、参加者の大きな拍手を受けました。この日の参加者は1市2町1村で100人を超え、入会1,「平和新聞」購読2と、仲間づくりも進んでいます。