第24回「平和のための戦争展・守山」 ―モノが語る戦争の傷あと―

10/13 誓願時

1995年、戦後50年と言われる年に「平和のための戦争展・守山」はスタートしました。毎年行われる戦争展のサブタイトルでよく使われたのは「もう戦争は止めませんか」でした。世界で戦争が無くなれば、私たちも「戦争展」を開く必要が無くなる、毎年大変な準備をして「戦争展」を開く苦労から解放される、のが本音です。でも、なかなか戦争は無くなりません。かろうじて、日本軍(自衛隊)がそうした戦争に巻き込まれて犠牲者を出すには至っていない…。

毎年「戦争展」を開催していると、多くの市民の方から様々な情報が寄せられます。出征した兵士の日章旗(寄せ書き)、勲章、千人針…、自警団の消防服や軍用手票…、そうした貴重な資料を今年はすべて展示しようと試みました。展示するために、預かった資料のすべてを。というわけで、今回のテーマは「モノが語る戦争の傷あと」。資料提供者ごとのコーナーを作って展示しました。

語り部の富田祥子さんは、朝鮮の最北部の町で終戦を迎えました。南へ南への逃避行の旅、足手まといの子どもを殺してしまう親、150円で子どもを売ってしまう親…「この人の気に入られる子でなければ生きていけない!」と必死で母親についていった3歳の富田さん…。

高校の歴史教師だった高橋信さんは、「徴用工」の問題を知り、その後の人生を「徴用工」問題に捧げました。今も韓国の高校生たちを日本に招き、民間レベルでの国際交流に心血を注いでいます。

台風の影響で初日は開場できませんでした。それでも、二日間の参加者たちは、平和の大切さをしっかりかみしめていただけたことと思います。「継続こそ力」がモットーの「平和のための戦争展・守山」です。来年以降も続けるでしょう。皆様のご支援を受けて…。