“希望に満ちた不滅の同盟”か? 新安保条約の60年

今年の1月19日、現行の日米安保条約の調印から60年が経過した。日本政府主催の記念式典で、安倍首相は「今や日米安保条約は、いつの時代にも増して不滅の柱。世界の平和を守り、繁栄を保障する不動の柱」、そして「希望の同盟」と最大限の賛辞を述べた。調印時の首相で祖父・岸信介氏の業績を、60年たって誇る孫の心意気を示したというところか・・・。

この60年、本当に日米安保条約は、世界の平和に貢献した“希望の同盟”であったろうか?

新安保条約成立の翌年には、アメリカは早くもベトナムに公然と特殊部隊を派遣し、64年のトンキン湾事件以来、10年余にわたって55万人の米軍を送り込み、史上最大の残虐な侵略戦争を続けた。ベトナムの犠牲者は軍民合わせて120~170万人、米軍戦死者23万人。米国民を含む世界中の空前の反戦平和運動の前に、75年サイゴンが陥落し米軍は敗北した。日本は新安保条約下の米軍基地を”アジア戦略の要石”として(新安保6条)、沖縄・嘉手納基地からB52戦略爆撃機が出撃、米海兵隊が東富士演習場から出撃し、名古屋港にはベトナムで戦火にまみれボロボロになった米軍ヘリコプターが百機以上も持ち込まれ、また修理して出撃していった。日本経済もベトナム特需にわきたった。日本中で労働者のゼネストや5億円を超える支援募金などベトナム反戦運動が広がった。これが、安倍首相の“不滅の柱”たる新安保条約の真の姿である。

また、新安保で自衛隊の増強(3条)と日米共同作戦(5条)が約束されたが、今日、自衛隊は“閣議決定”だけで、中東地域にまで派兵している。海外派兵は常態化している。史上最高をつづける軍事費で、長距離巡航ミサイルや空母、ステルス戦闘機まで持つ自衛隊は、「集団的自衛権の行使」で米軍とともに戦う「軍隊」へと変質している。小牧基地は自衛隊海外派兵の出撃基地であり、兵站基地・愛知県の役割はゆるぎない。この新安保条約政治が日本国憲法の壁を突き破ろうとしている。これが新安保条約を日米首脳が「希望の同盟」と呼ぶ本当の姿である。

それでもこの60年間、日本が戦争を行わなかったのは、疑いもなく平和運動と日本国民の平和の意思だったと言える。60年安保闘争とその後のベトナム反戦運動や沖縄闘争などの継続した反戦平和運動や原水爆禁止運動、それを支えた統一戦線・統一行動の力があったればこそである。

私は60年安保当時、学生運動で安保闘争を闘った。60年5月~6月には、数千名の学生が連日のようにデモと街頭行動や労働者のストライキ支援など、それこそ青春の情熱をたぎらせた。新安保が衆議院で強行採決され、国会デモで女子学生が命を落とす衝撃の中、6月11日愛知県学連の数千名のデモが、禁止されていた “広小路車道デモ”を行った。20列の学生デモが機動警察官と、栄町交差点で激突した時、歩道を埋めつくした市民たちが手を打ち、声を上げて応援してくれていたと翌日の新聞にも報道していた。我々のデモが大津橋の自民党県連前に転進していったとき、機動警察は車道に座り込んだ学生達を一人一人ごぼう抜きで歩道に押し上げ、62名の学生が逮捕された。私ともう一人の県学連幹部がその後10年に及ぶ裁判をよぎなくされた。

愛知県学連は、社会党と共産党、愛労評、平和委員会などの民主団体などと共に「安保改定反対愛知県民会議」をつくり、23次に及ぶ統一行動やストライキ闘争を続けた。これは史上初めての統一戦線である。全国に2000を超える共闘組織が生まれた。これこそが、国民大衆にとっての「不滅の柱」であり、最大の収穫であった。この戦いの中で全国の平和委員会も職場・地域・学
園に組織と運動を定着させ、愛知県でも2000名を超える会員が活動するようになった。

安倍首相には“不滅の同盟”の下で、彼の得意技―隠蔽、改ざん、そして忖度などを駆使し、自分に都合の悪いことはだんまりを押し通して、政権の座にしがみついているが、長くはもたないであろう。

2020年2月  森 賢 一