「軍需産業の中心」を目の当たりに 平和活動交流会に85人

4/6 小牧南工場

4月6日、愛知県平和委員会は平和活動交流会を開催し、予定を上回る85人が参加しました。第一部のフィールドワークでは、城下副理事長がガイドを務めて三菱重工の二つの工場を回りました。

間内駅からマイクロバスと乗用車に分乗し、まず三菱重工小牧南工場に向かいました。ここでは、日英伊の三国が共同して次期戦闘機の開発を行う「設計センター」が建設中です。まだ鉄骨がむき出しの状態ですが、六階建てのずいぶん頑丈な造りです。城下さんの説明の一部を紹介します。

新しい看板ができ、建設工事は急ピッチで進んでいます。最近では、すでに開発担当らしき外国人技術者の姿も見かけるようになりました。小牧南工場は「名古屋航空宇宙システム製作所」であり、F35A戦闘機の組み立て、点検・整備などを行う拠点です。豊山町は「航空機の町」と言っていますが、今後、垂直離着陸のできるF35Bが来ることになると、住民はさらに大きな騒音被害を受けること

になるでしょう。

プールの向こうにも三菱重工の大きな建物が見えますが、製作を断念した国産旅客機スペースジェットの開発工場です。三菱重工は「施設・設備や得られた知見を次期戦闘機に活かす」としています。私たちの税金から莫大な補助金が出された事業

が戦闘機開発に化けてしまうのでしょうか。

つづいて、主としてミサイルの開発製造をしている小牧北工場(名古屋誘導推進システム製作所)に移動します。

ナゴヤドーム8個分の広さがある工場で作られる長射程ミサイルは、南西諸島に配備される予定です。「無人機(ドローン)の開発もここで行われていますし、軍用ヘリコプターは小牧南工場ですから、事実上、空を飛ぶ兵器のほとんどは愛知で作られているということなのです」と城下さんは言います。

小牧北工場の新しい看板には「三菱重工航空エンジン」と書かれているのも見えます。これも三菱重工の子会社で、航空・宇宙関連で最大の企業ということです。まさに「愛知が軍需産業の中心」であることを目の当たりにした感じがしました。

春日井駐屯地の見学は時間の都合でできませんでした。

「基地の町」の歴史とそれに抗う運動が報告

4/6 春日井市ささえ愛センター

ささえ愛センター交流会では、春日井平和委員会会長の宮田睦奥男弁護士が、「安保条約廃棄を一貫して掲げている、平和委員会はすばらしい」と、地元を代表して挨拶。続いて事務局長の石田ひろのぶさんが、春日井市に関わる3つの自衛隊基地について話しました。

①春日井駐屯地も、②高蔵寺分屯基地も戦前の鷹来工廠にあり用地は、陸軍により強制買収され、支払いは戦後無価値となる戦時報国債軍事債権が割り当てられました。③小牧基地(敷地は春日井市にもはみ出している)も同様と思われます。終戦で役割を終えたはずが、朝鮮戦争で米軍が使用することとなり、その後、自衛隊基地となってしまいました。1971年高蔵寺弾薬庫にナパーム弾が保管されていることが判明し、市議会で弾薬庫撤去決議があげられました。弾薬庫撤去を掲げ、高蔵寺弾薬庫一周平和マラソンが毎年取り組まれ、市長からメッセージも届きます。また、平和展では、市より委託を受けた原爆展示や、様々な平和団体の展示と一緒に開催しています。

会の最後に署名をしっかり集めようと確認がされ、会を終えました。

各地の経験交流 知ること、知らせること、そして無理なく続けること

各地の経験交流では、西区平和委員会の加藤勇来さん、緑区平和委員会の桐山節子さん、港区平和委員会の加能美恵子さんが報告に立ちました。

西区の加藤さんは、西区平和委員会立ち上げの場となった豊山海軍工廠跡巡り平和ツアーを報告、その時の入会者を含め8人が今回も参加していると語ります。加藤さんは80年前に海軍工廠で起きたことをはじめ、戦争の現実、惨劇を世代を超えて受け継いでいくために、「知ること、知らせること」の必要を訴えるのです。

桐山さんは3月に23人の参加で3人の仲間を迎えた基地巡りツアーを報告。かつては陸軍、終戦後には米軍の、返還後は自衛隊としての各務原基地の、軍事基地と地域の生活の変化について報告しました。

4月4、5、6日をピースデーに設定して、渥美半島の戦跡巡りや定例のららぽーと前での宣伝に取り組んでいる港区からは、「無理なく続けることが大事」と、継続の大切さを訴えています。