2024 あいち・平和のための戦争展
特別展 名古屋空襲の事実が明らかに

8月15日から18日にかけて、あいち・平和のための戦争展を名古屋市民ギャラリー矢田で開催しました。1992年から開催され、今年で33回目。1450人の市民が参観しました。この一年の調査や運動の成果をまとめた内容を、実行委員会に参加した30団体が展示しました。
今年の目玉は、「なごや平和の日」制定にあたり、「特別展 名古屋空襲展」を開催したことです。名古屋空襲研究会の会員で制定に関わった、東海高校教員の西形さんが作成した豊富な資料を基に、映像や写真で展示を説明します。市工芸の生徒が作成した名古屋空襲のジオラマも活用した展示は、見るものをくぎ付けにします。なにより重視したのは、加害の事実。「名古屋はなぜどうして狙われたのか?それは軍需工場があったから」といった内容は、戦争展ならではの独自の深堀となりました。
また、若い世代への継承を重視しようと、修学旅行、文化祭、授業での平和のとりくみを紹介する「高校生の平和展」の展示も開催しました。ピースステージでは、高校生フェスティバルによる

群舞、椙山高校生徒による名古屋空襲の紙芝居、平ゼミによる原水爆禁止世界大会の報告など平和活動が交流され、活力のある取り組みとなりました。
ピースステージでは、金平茂紀さんによる「日本の軍事大国化へメディアは」、孫崎享さんによる「平和を創る道の探求」、望月衣塑子さんによる「次期戦闘機輸出を解禁 岸田政権の下で戦争で稼ぐ国へ」などの講演が注目されました。
平和委員会の展示では、安保三文書による愛知の軍事拠点化の実態を展示し、とりわけ軍事産業・長射程ミサイルの生産拠点となる愛知の危険性を告発しました。また、平和運動の紹介として各地の活動も積極的に紹介しました。
高校生企画「若い世代への継承を」

今年の「あいち・平和のための戦争展」では、若い世代への継承を重視する展示や企画が行われました。
修学旅行、文化祭、授業での平和のとりくみを紹介する「高校生の平和展」、空襲の実態を展示した豊川高校や豊橋中央高校、戦争体験を記録した同朋高校をはじめ様々な取り組みがありました。今年は新たに「名古屋空襲の絵画」を東邦高校の美術部が出品し、戦争体験を学ぶとして南山高校女子部の展示も行われ、大きな関心が寄せられました。
またピースステージは、「不戦兵士・近藤一さん三周忌しのぶ会」として開催され、高校生フェスティバルによる群舞、椙山高校生徒による名古屋空襲の紙芝居の取り組み報告、高校生平ゼミによる原水爆禁止世界大会の報告などがありました。空襲などの被害問題に留まらず、加害の責任ついても平和活動が交流される場となり、活力のある取り組みとなりました。当日はコロナ感染の拡大で同朋高校の参加が見送られるなど不測の事態がありましたが、来年はさらにパワーアップして集まることができればと話し合われていました。
会の後半は、山口剛史さん(琉球大学教授)による「沖縄戦からみたウクライナ」と題して学習も行われました。山口さんは、「軍主導で戦争動員と犠牲が広がっている実態を見ると沖縄戦とウクライナでの問題が重なる」ことを示し、「軍とは何か、戦争とは何か?」と問いかけ、高校生とともに考えるディスカッションが行われました。
これらのとりくみは、高校教員の関係者が作りあげてきたもので、日ごろの教育実践を踏まえ、生徒とともに考える場となりました。
金平茂紀さん講演 日本は民を見捨てる国へ

平和委員会は8月17日、戦争展のステージ企画としてジャーナリストの金平茂紀さんの講演会を行いました。金平さんは、学生たちが主導する大規模な反政府運動により首相が逃亡し、政変を成したバングラデシュの取材から帰国したばかり。しかも岸田首相の退任表明で夕方の報道番組に出演するため、急遽リモートでの講演となりました。
新しい戦前と言われるが、日本は、戦争が最重要課題で民を見捨てる国へまっしぐらに進んでいる。5か月たっても復興が進まない能登地震はその実例。SNS時代のさなかで「公
共」が溶解し、全ての組織が上を見ている状態の中、沖縄をめぐり植民地主義が露出している。沖縄はアメリカの軍事植民地であるとともに、軍事基地を押し付けて平気な本土の国民により二重に苦しめられていると指摘しました。「植民地主義とは、優れた人間が劣った人間を差別するのは当然という考え方で、人間の中に差別を持ち込むこと」と、岡真理さんの著書を引用して警鐘を鳴らします。
さらに、ガザで子どもが殺された場合に身元がわかるよう、足に名前を書く動きが広がっていることを記した、パレスチナの詩人の詩を紹介して、いろいろな方法での抵抗や意思表示をよびかけました。
名古屋空襲展 軍需工場があったから狙われた

「あいち・平和のための戦争展」今年の目玉は、「なごや平和の日」制定にあたり、「特別展 名古屋空襲展」を開催したことです。名古屋空襲研究会の会員で制定の日に関わった、東海高校教員の西形さんが作成した豊富な資料を基に、映像や写真で展示を説明します。市工芸の生徒が作成した、名古屋空襲のジオラマも活用した展示は、見るものをくぎ付けにします。
展示の説明を行った西形さんは、「名古屋城はなぜ焼けたのか?」として、都市攻撃を目的とした米爆撃機に対し、日本軍の思わぬ反撃によって、意図した地点と違った場所で空襲が行われ、それがきっかけで名古屋城が燃えたと話します。さらに、工場では破壊を目的とした爆弾を使用し、市街地では火災が広がることを目的に焼夷弾を使って無差別殺戮をおこなったと話しました。
なにより重視したのは、加害の事実。「名古屋はなぜどうして狙われたのか?それは軍需工場があったから」「6月9日の空襲の目的は、戦闘機の制作をしている愛知時計への攻撃だった」「工場破壊のために、それまで使用してきた250キロ爆弾をはるかに上回る殺傷能力を持つ2トン爆弾を使用した」といった内容は、「戦争展」ならではの独自の深堀となりました。
最終日には「熱田空襲慰霊碑の撤去を許さない」として懇談会を行い、撤去ストップにとどまらず、戦争の記憶を次世代に継承していくための運動についても積極的に語り合われました。