豊橋空襲を語りついで

1945年6月19日深夜から20日未明にかけておこなわれた豊橋空襲では、136機のB29により市内全域に焼夷弾攻撃がされました。その年の3月から始まった大都市の焼夷弾攻撃は、愛知県では3月に名古屋空襲があり、6月から始まった中都市のトップとして、当時名古屋に次ぐ都市だった豊橋が選ばれたのです。続いて県内では、(スケジュールどおり?)その1か月後の7月19日深夜から20日未明にかけて岡崎空襲があり、続いて一宮市が、7月28日深夜から29日未明にかけて攻撃されました。

1989年に結成された「豊橋空襲を語りつぐ会」は、以来6月20日夕方から「豊橋空襲犠牲者を追悼し、平和を誓うつどい」をおこない、豊川に灯ろうを流しています。

数年前から、「原爆の火」がともる桜丘高校、豊川海軍工廠で犠牲者を出した豊橋中央高校の高校生が学校ぐるみで参加し、今年は150名の参加者のうち50名が高校生でした。体験者の証言の後、二つの高校の代表が挨拶。両校とも空襲や戦争を語りついでいくことを継承する決意を述べ、参加者から大きな拍手を受けていました。

豊橋空襲を語りつぐ会は、県内の最初の中都市空襲を受けた都市として、数年前に岡崎と一宮の同様の会によびかけて、シンポジュームを、また今年は東三河の豊川海軍工廠と渥美線列

車銃撃事件の継承運動の団体によびかけて交流のつどいを成功させ、横のつながりも重視しています。